ある物理エンジニアの日記

とあるエンジニアの回想録・着想録・備忘録

人間関係の非対称性

「自分はこうしてほしいけど、あなたにはしてあげたくない。」

「自分はこうしたいけど、あなたにはされたくない。」

 

こういうことって、当たり前にあることだし、あってよいのだと思う。

 

ところが、

「自分がこうされたいなら相手にもそうするべきだ」

「自分がこうしてやったのだから、相手もそうしてくれて当然だ」

という思い込みに悩まされてしまうことが少なからずある。

 

これ、学校で思い込まされた間違った感覚なんじゃないか?って思うのだ。

あゝ、あの閉じた教室に集団を収容して飼い殺しにするためなら、それは不可欠な教育なのかもしれない。

 

僕たちは、みんな別々の人間だ、好き嫌いがあって、違う欲求があり、持っている財産も違えば、持っている感性も違う。

 

僕がいらないものを差し出せば、それをほしい人もいる。

僕のほしいものを、いらないと思っている人もいる。

 

僕のいらないものが相手のほしいもので、僕のほしいものが相手のいらないものなら、交換すれば良い。

 

そうやって、僕たちは豊かになる。

 

相手がしてくれたからって同じようにしなきゃいけないわけじゃないし、僕がしてやったからって同じようにしてくれると期待しちゃいけない、

 

むしろ、ありのままの相手でいてほしいし、ありのままの自分でいたほうがしっくりすると思う。

 

そうじゃないと、同質化する。それにしたがって、交換できなくなる。そればかりか、嘘と無理が膨らんでいく、つかれてしまう。

 

自分をぼかさず、正直でいればよい、あとは、運命が自分を拾ってくれる。