ある物理エンジニアの日記

とあるエンジニアの回想録・着想録・備忘録

プログラミングをはじめたとき〜1992年のこと

僕が、プログラミングをはじめたときのことをかく。
1992年の春の事だった。年令は12歳だった。

僕の家は裕福ではなかったし、当時はパソコンはとても高価だった。そのうえなんの役に立つのか知っている人もほとんどいなかった。たまたま僕がコンピュータに触れる機会を得たのは、中学校の一角にそれがあったからだった。

公立学校にありがちだが、唐突に学校に放り込まれた一群のコンピュータはほとんど使われることなく放置されていた。たまたま僕は、そんなコンピュータにアクセスでき、教師もそれを黙認したわけだ。これまた公立学校にありがちだが、ぼくの触ったコンピュータは、FM-Rという富士通の事務用機だった。ほとんど公共施設にばかり売られていたPCで、ただでさえ世の中になったPCの中でもとくにマイナーだった。当時はすでにNECの9801が流行っていたし、富士通でも一般向けにはFM-townsというモデルがはやり始める直前だった。

おかげで、ほとんど資料がなかった。まだインターネットなんて目の前になかったし、田舎の本屋や図書館にはたかだか30冊程度、コンピュータ関連の本が見つかる程度、そのうちのほとんどはまとはずれな内容だった。分厚いマニュアルがほとんど唯一の情報源だったから、僕はそこからあらゆることを試したのだった。

最初に扱ったのは、BASIC、それもF-BASIC86HGというかわったアレンジのされたBASICだ。FM-TOWNSはF-BASIC386だったから、富士通でもさらにマイナーなバージョンのBASICだ。そしてアセンブラマシン語を直接たたく遊びもした。

当時のパソコンのプログラミングは、ハードウェアの限界がとても近いところにあったから、最近の組み込み屋よりよっぽど沢山の小手先テクニックがあったし、片っぱしから試せる程度のリソースしかなかったから、網羅的に試すこともできた。

いまでも僕は機械性能いっぱいを扱うのが好きだし、余裕のあるリソースの中で淡々とコードを書く時間は必要だけどあまり楽しくない。現代のプログラミングの実作業の大半は、拡大する複雑さを思考できる範囲に抑え込む作業だ。そのためのツールは無数にあるし、そのために学ぶべきことも多い。けれども、僕にとって楽しいのはそっちの作業ではない。一応はプロだからこなすけどね。やっぱり僕にとって気持ちいいのは、他人にできないことをみつけることで、知られたテクニックを真面目に使う作業ではない。必要なコーディングの99%が後者だとしてもね。